ある時、ベテランの和裁士さんのもとを訪れたことがありました。
その方はかつては某百貨店のお仕立ても担当していたほどのプロ中のプロで、着物初心者である私にいろいろと教えて下さいました。
そもそも和裁士さんを訪れた理由は、家にずっと眠っていたちりめん小紋の反物を仕立ててもらうため。
反物を広げながら和裁士さんとお話をしていくなかで、この生地の状態が気になり聞いてみると、なかなか上質なちりめんであることがわかりました。
「上質なちりめんはこのように折ってもクセがつかず、なめらかなまま。そうではないちりめんは、どうしても湯のしのあと戻ってきた状態でも折り目がついてしまって、アイロンなどをかけてもクセをなおすことができないんです」
それを見極めるのが、触り心地はもちろん、反物を広げた時にシワや折り目がついていないこと。
約30年反物の状態で眠っていたこの小紋ですが、反物から広げて生地を重ねても、ふわふわとしており、折り目やシワが一切ついていません。
また、触り心地については、「上質なちりめんは厚み・重みがあって、ふわふわと柔らかい」と元呉服屋である母に教わっていました。
私はとにかくちりめん生地が一番好きなのですが、実はそんなちりめんに変化が起きていたことを今回知りました。
「このように上質な生地は実はもう新しく作ることはできなくなっていて、こっちが今の最高級のちりめん。全然違うでしょ?」と今の最高級であるというちりめん生地を触らせていただきました。たしかに、こちらはすべすべと軽くて着やすそうだけど、触り心地が違う。
この背景には、絹が昔のように生産できなくなっていることにあるといいます。
調べてみると、政府公式の資料【養蚕の動向】が見つかり、国内の繭の生産量、そしてそれらをつくる農家の数が著しく減少していることがデータでも出ていました。
令和2年4月時点の農林水産省【蚕糸業をめぐる現状】という資料によると、繭生産量は、ピーク時が昭和5年で40万トンあったのに対し、平成31年で92トンまで減少しています。また、養蚕農家数は、ピーク時昭和4年221万戸もあったのに対し、平成31年では259戸まで減少しているようです。
その減少のスピードは早く、平成31年の農家数そして繭の生産量は平成21年の約3割の水準まで減少しているというから驚きでした。
繭の生産量そして生産してくださる農家さんの数が減少している主な理由は、養蚕農家さんの高齢化、そして後継者不足にあるといいます。
農家さんの6割が70歳以上を占めているそうで、大きな製糸工場は群馬県と山形県にあるのみ。
実は私のふるさとでもある福島県は、群馬県に次いで農家数が2番めに多いということを初めて知りました。
たしかによく両親から、私の生まれたところはもともとお蚕さんなどの衣料のもととなる素材などを生産している人が多かったと聞いたことがありました。
「小さい時に住んでいた家では、お蚕さんをやっていて、体育館のような建物のなかにお蚕さんがたくさんいて、そこでお蚕さんを見るのが楽しかった。葉を食べる音を今でも思い出すんだよね」
とまるで子供に戻ったように生き生きと母親はその話をするのですが、たしかにそのような光景は私は今まで一度も見たことがなく、身近なものではなくなっています。
そんなちりめんの元となるお蚕さんが減っていることからも、上質な生地を手に入れることは難しくなっているようです。
「かつての上質な絹はみんなの箪笥のなかに眠ってるけれど、みんなもう着ないって捨てちゃったりするでしょう。本当にもったいない、、、もう二度と手に入らないものなのにね、、、」
ベテランの和裁士さんは悲しげな様子でおっしゃり、また最後に力強くエールを下さいました。
「今はおばあちゃん世代でも着物を着たことがない人もいて、着物について本当に知っている人は減っている。逆に言うと、着付けにとても厳しかった昔よりももっとそれぞれに楽しんで着ることができると思う。そして色とか柄とか気になっても、着物は着ちゃえばいい、着たもん勝ち。着物についてたくさん学んで、たくさん着物を着て下さいね」