着物には魂が宿ると言われている。
たしかにお誂えである着物は、自分の体のサイズにぴったり合うようにつくられ、世界に一つしかない、”自分専用の服”だ。
それを身にまとうのであるから、もしかするとたしかに魂が宿るのかもしれない。
私は霊感があるわけではないが、それでも譲り受けた着物をまとうときにあれ?と思うことがある。
特にそう感じたのは、持ち主不明の黒留袖だ。
実家のひいおばあちゃんの部屋にある、古い桐たんすの奥から出てきたその黒留袖は、畳紙に「古い江戸褄」と書かれていた。(※江戸褄とはイコール黒留袖のことだそう)
畳紙を開いてみると、白の長襦袢、真っ赤の長襦袢、そして松の模様がある黒留袖が一緒に入っており、足袋まで入っていた。
書かれている通り、生地の具合からとても古いものであるということがわかる。
母とこれ誰のだろう?と話していたが、結局持ち主はわからない。
そのたんすの引き出しには祖母とひいおばあちゃんの黒留袖が入っていたので、二人のうちのどちらかだと思うが、持ち主ははっきりしない。
とりあえずそのまま入れておくわけにもいかないので、いつものごとく私が譲り受けることになった。
早速持ち帰ってから、ほかにも譲り受けた着物の状態を確認して、サイズが合うかと羽織ってみたりした。
そして”古い江戸褄”も着る機会はとうぶんなさそうだけども、とりあえずどんな感じか畳紙をもう一度開いた。
刺繍が入った豪華なものではなく、絵画的なデザインで渋くてかっこいい。
おそらく昭和初期、おそくても中頃のものではないかと思う。
これも着てみようと、畳紙から丁寧に着物を取り出し、羽織ってみた。
その瞬間、なんとも言えない、ヒヤッとするような感覚が体中を巡った。
あれ、冷たくて重い。古いから?ずっとたんすにしまってあったから?
でも同じく何十年も眠っていた他の着物を着てもそんなことはない。
むしろそれらは同じちりめん地なのに、あったかく体を包み込んでくれる感覚がある。
どうしてこの着物は冷たくてずっっしりと重いんだろう。
結局理由はわからないままだし、持ち主も誰かわからない。そして持ち主であろう人もすでに今はもういないので聞くこともできない。
ただ、なんとなく思うその理由は、、、私の”気持ちの問題”だ。
誰かから譲り受けた着物を着る時は、いつも元の持ち主のことを思い浮かべて着ている。
その人の顔を思い浮かべながら、どんな気持ちでこれを着たのかなあとわくわくしながらそして感謝をしながら着ている。
だからこそ、その”古い江戸褄”を着る時は、持ち主不明なためその人の顔が思い浮かばずに、これ誰の、、、?という気持ちで着ていた。
自分でその着物を遠ざけよそよそしく感じており、こちらがそんな気持ちで着れば、そりゃ着物だって冷たい態度も取るだろう。
せっかくここまで生き残ってくれた”古い江戸褄”。
これからメンテナンスをして手をかけ、しっかり愛情を注いでいきたいと思う。