呉服屋に生まれながら、27歳くらいになるまで着物を自分で着よう!と思わなかった私。
詳しい話はSAYURIKIMONOについてで紹介しているが、恥ずかしながら浴衣さえ自分で着ることができず、着付けはすべて母まかせだった。
また、商売のことについてはとても厳しく、着物は絶対に触ってはだめと小さい頃からしつけられて育ったので、自分で着物を着るようになるまで着物を触ることさえ一度もなかった。
そんなこんなで、本当に着物については無知な私であったが、興味ある着物を学んでみようと思い立ち、着物を自分で着るようになってから約1年が経つ。
この1年間で着物を着て出かけた回数は残念ながら数回しかないが、それでもなんとなくコツをつかむことができ、普段の装いではまだまだ満足はできないけれど、とりあえず自分で着ることはできるようになった(夫の手も借りずにお太鼓も結べるようになった!)
それでも着物についてわからないことは無数にある。
その一つ一つをクリアして知識を身につけるために、よく着物の本を読んでいる。
元呉服屋なら家の人に聞けばいいじゃないか、という声が聞こえてくるような気がするが、呉服屋を営んでいた祖母は私が幼少期の頃に突然亡くなり、父は祖母が亡くなってから店を継いだので経営のことはプロだが着物に関しては素人、また母は約10年間ほど祖母の助手をしていたので基本的な知識はあるが、それはもう約25年以上前の話だ。
着付けの仕方、お手入れの方法、コーディネートの仕方など基本的なことは母に教わっているが、やはり自分で学んでいくしかない。
そんなこともあり、本や雑誌などありとあらゆるものを読み、なるほどこういうやり方があるのか、と知識をインプットしている。
どんどん着物の知識が増えていくことはとても楽しく、頭の中は着物のことでいっぱい。
でもそれと同時に、頭の中はすっかりそれらの知識を網羅したガチガチの”教科書”が出来上がっていた。
久しぶりに母と会って、着物について話していたときのこと。
「衿芯ってさ、やっぱり絶対いれなきゃいけないよね?でもあんまり好きじゃないんだよね」
「うーん、フォーマルは入れたほうがいいけど、普段着は無理して入れなくていいんじゃない?」
「え、じゃあさ、半衿の出し具合ってこのくらいじゃなきゃだめだよね?これだと狭すぎるよね?うまく出せなくて、、、」
「これでもいいんじゃない?お母さん着てたときはこのくらいにしてたよ」
「あ、そうなの?あとさ、帯揚げはさ〜」
こんな感じでいろいろと習得した知識を母にぶつけていく私。すると母が突然、
「着物って絶対に〇〇じゃなきゃいけないってわけじゃないんだよ。おばあちゃんだってそんなこと言わずに柔軟に発想してた。もちろんフォーマルのときはきちんと着るべきだと思うけど、普段の着物は自分のルールでうまくやればいいんだよ」
あら。気づいたら私はいろんな知識をインプットしすぎて逆に頭が固くなり、”〇〇じゃなきゃいけない病”にかかっていたようだ。
思えば、母からのアドバイスは、もちろん基本的なことはこうしたほうがいいというのはあるが、意外と自由。例えば、丈が長い着物でも普通におはしょりすれば着れる、長い長襦袢は自分で”あげ”をつくって縫っちゃえばいい、着物と長襦袢の袖丈が数センチ合わなくても気にせずに着る。
帯の結び方に至っては、正解なんてないんだからと自由に結ぶ。
絶対にこうでなきゃだめということは言わず、おさえるべき基本はおさえて、あとはできるだけ楽に楽しく自分なりに着るのが実家の呉服屋のスタイルだった。
その証拠に、祖母や母のかつての着姿を写真で見ると、これでいいのかと思うこともしばしば。
そんな”うち流の着物の着こなし”をいつの間にか忘れていたことに母の一言で気づかされた。
着物のがちがちに固められたルールは、実は昭和に入ってからのものである。
呉服業界が着物を高級なものに位置づけ、フォーマル着物で生き残りをかけようとした際に厳しい着付けルールが生まれたという話を聞いたことがある。
実際、着物のプロであればあるほど、柔軟な発想で着物を着こなしており、なるほどそんなワザがあったのかと勉強になることばかり。
でも一方で母はこんなことを言っていたことも思い出す。
「応用は基本を知ってから」
つまり基本を知った上で、自分なりのルールをつくっていきなさいということなのか。
これからも知識を増やしつつ、自分が心地よい着物の着こなしを見つけていきたいと思った母との会話だった。